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デジイチで撮ったお花や雑貨、お出かけした時の写真です。どーぞごゆっくりしていってください。


by May

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震災から10日

お久ぶりです。
今日は震災のことで考えさせられる記事がありましたのでここで報告させて頂きます。

兵庫県・西宮市議員の今村岳司さんのブログから、勝手に文章を抜粋させていただきます。
※サイトはこちら(http://xdl.jp/diary/)



被災を経験していない者が被災者や被災地の力になれる事はなにか
とても考えさせられました。









「あの恐怖と屈辱は、記憶よりさらに奥に刻みつけられてしまっている」


16年前に私は被災し、実家を全焼して失いました。

それいらい、私はよほど小さな地震でも、気分が悪くなるほど怖いです。

記憶よりさらに奥のところに、あの恐怖が刻みつけられている気がします。

今回の地震は、一瞬眩暈がしたかと思いました。

でも、周りで揺れているものがあったので、それは地震だとわかりました。

吐き気を抑えなければいけないほど気持ち悪かったです。

でも、まさか、これほどのことになっているとは思いませんでした。

いらい、日々仕事に集中していても、

何か腹の底に溜まっているような気持ち悪い感覚があります。

不安なことや面倒なことを抱えているときのような。

よくよく考えたら、それは東北の地震のことだ、とわかりました。

悔しくて、悔しすぎて、記憶から消していたことが、いろいろ蘇ってきて辛いです。

ひとつは、観光気分で来た自分探しボランティアの連中のこと。

彼らは、人から感謝されることを楽しみにやってきただけでした。

だから、汚れ仕事やしんどい仕事は何かと言い訳しながらやりませんでした。

彼らで集まって楽しそうに親睦を深め合っていました。

そんな彼らに「惨めな被災者」と扱われる屈辱。

何日か経ったとき、避難所のリーダーが耐えきれずに怒鳴り散らして

彼らを追い返してくれました。

彼らがいなくなっても、彼らに受けた屈辱は消えませんでした。

ひとつは、「家が焼けただけでしょ?」と私に言った大学教授のこと。

震災後しばらく経って、避難所を少しはあけても手が足りるかなと思ったころに、

大学に試験を受けられないと説明にいくために、京都まで出向いて教授を順番に廻りました。

ある教授はこういいました。

「ペンと本があれば勉強できるわけだし、もう電車も復旧しているから、

 試験も受けに来れるはずでしょ?家が焼けたからと言って、ねぇ。。」

研究室でものを投げ散らかして軽く暴れたあと、彼に

「おまえの家が焼けてもペンと本があれば授業をするんだな?」と言って帰りました。

部屋を出たあと、暴れたのは、目の前の豚を殺したかったからではなく、

被災者以外が被災者のことを理解してくれるのではないかと期待した自分の愚かさに、

腹が立ったからだとわかりました。

記憶の中の彼らは、単なる匂いのない記号として封印されていたのですが、

他人の絶望をエンタメにすることしか考えていない無神経なテレビを見ていると、

記憶の中で彼らは解凍され、また腐臭を放つようになってしまいました。

自分が育った家がなくなったこと、

小さなころの写真が一枚もないこと、

家族がぎくしゃくして不愉快なことばかりだったこと、

大好きだった街が廃墟になってしまったこと、

そんなことは、もうなんとも思っていないのに。

   ■   ■   ■   ■

私はこの地震で何も失っていない部外者です。

そして、この地震に対して何もできない無力な素人です。

ただの「被災していない人」です。

被災していない人間に被災者の気持ちが分かるわけがないのです。

分かるわけがない相手に分かったようなことを言われたりされたりすることこそが、

相手に「被災者の気持ちなんて結局誰もわからない」を痛感させます。

とにかく、自分にできることなど何もないことを受け容れることが必要です。

「何かしよう」という気持ちが、本当に自己満足ではないのか、よくよく考えるべきです。

政府の大規模な財政出動に理解を示すこと、増税を受け容れること、

節電など、政府の呼びかけに応じて、不便を受け容れること、

被災者の苛立ちや要望をただ受け容れること、

プロが呼びかけるボランティアや募金に参加すること。

これくらいが関の山なのです。

「被災経験のあるあなたに訊きたいが、被災地に対して何かできることはないか」

と友人に訊かれたので、こう答えました。

まずは、呼ばれでもしないかぎり、絶対に被災地に行かないことです。

被災地から出ようとする人、入ろうとする支援部隊や家族で

アクセスはただでさえ大混乱ですから非常に邪魔です。

統制もとられておらず装備もなく訓練も受けていない「ボランティア」は

ただの野次馬観光客です。何の役にも立ちません。

自衛隊は、食糧から水から燃料から寝具から、全て自前で用意して出動します。

しかし、手ぶらのボランティアは、

被災者が食うべきものを食い、被災者が飲むべき水を飲み、

被災者が寝るべきところで寝るのです。

完全に現場指揮に従うのであれば、

しかも生き地獄での救援活動に耐えうる技術と精神力を備えているのであれば、

行ってこればいいと思います。

次に、要請されないかぎり何も送らないことです。

何が不足しているかもわからずに送られてくるものは、千羽鶴と同じゴミです。

「着るものがないだろう」とボロを送られても馬鹿にされたと思うだけです。

水もガスもないところにカップ麺を送られても意味ありません。

現場に何が必要かを理解しているのは現場のプロだけです。

「○が不足しているのでどこに送って欲しい」という呼びかけに応えるのであれば、

ぜひ送ればいいともいます。

そして、ぜったいにこちらから安否確認の通信をしないことです。

安否確認したいのは被災していない側です。

被災していない側が安心したいだけです。

安否確認などされても被災者には何の益もありません。

安否確認で電話することは、

通信が復旧しきっていない情況で、

被災者でない側が安心したいがために通信を使用する行為です。

要はプロに任せることです。

16年前、遠くのまちの名前が書かれた消防車やパトカー、

そしてなにより規律正しい自衛隊が来てくれたときには、

ほんとうに嬉しかったです。

彼らは、これまでに見たどんな人間より気高かったです。

彼らはプロとしての技術を持っていましたし、

彼らは私たちに感謝されることなど求めていませんでした。

被災地に必要なのは、プロだけです。

私のところで学生のころ活動をし、

そのあと陸自の士官になった女の子が、きょうから災害派遣で被災地に行きました。

彼女は、明確に被災地に必要とされている人間です。

16年前の私に、人生を日本のために使うと決意させてくれた災害派遣の自衛官として、彼女が岩手に行くことがとても誇らしいと同時に、

無力な自分の被災地に対する気持ちは、彼女に託すことにします。

被災地の復興と、自衛隊の活躍、そして、大切な友人である自衛官の無事の帰還を、

心から祈ることだけが、無力な私にできることです
by hanahana5ss | 2011-03-20 19:10 | etc・・・